扱い方は人を顕わす、と思う

こんばんは。家族の隙を見つけたcotakaです。さっそく更新します。

 

以前、テレビで俳優の八嶋智人さんが、自分のメガネに対する愛情を熱く語っていました。なんでも、八嶋さんはメガネだ大好きなので、粗末に扱っている人を見ると大変腹が立つとのこと。

 

特にメガネを外した時、レンズ面を下にして机に置いている人をみると許せないとおっしゃっていました。

 

僕もその気持ち大変よくわかります。特に僕が掛けているメガネは、北海道で一番親しくしてもらっている友人でもあるメガネ屋さんに調整してもらったものなので、これを粗末に扱うことは、その友人も粗末に扱うのと同じだと思っています。

 

そして、僕が大切にしない人をみると許せないと内心憤りを覚えるものがもう一つ。

 

はい。僕のブログを読んでいただいている方には予想がついたでしょうが、僕にとっては、「本」も粗末に扱う人を見るとはっきり言って腹がたつ。というよりその行動が理解できないものです。

 

いろいろな本の読み方がありますから、この先は、あくまで僕個人の考えであり、誰でもそうしろと言えるようなものではないとおことわりはしておきます。

 

僕は、本は著者の方が心を込めて書いてくださったものだと思っています。それなのに、粗末に扱える神経がどうにも我慢ならないのです。

 

まず、床に直接本を置くことが許せない。足で踏んづけるなんてもっての外。読みかけの本をしおりを挟まずに逆さまにして伏せておくのも理解できません。しおりを使うとしても表紙のの折り返しの部分(見返し?でしたっけ)を挟むことはゆるせません。だって本が痛むじゃないですか。

 

同じ理由で通勤カバンに入れて移動時間に読む本にカバーをしていないのも気になります。そのカバンの中は本が痛まないような(ちょうどノートパソコンを運ぶ時のような)スペースがあるのでしょうか?あったら、ごめんなさい。でもページが折れたり心配ではないのですか?

 

カバーがない?作ればいいじゃないですか。紙さえあれば折り鶴よりも簡単に作れますし、なにより読み終わった本のカバーを取っておけば、大抵ピッタリ合うサイズのものが見つかります。たまに電車の中で、革カバーなんかをした本を読んでいる人をみると尊敬しますね。もう、近寄って握手したいぐらい。

 

他にも、本の中に書き込みをしたり、ページの端を折って読む人をみると心の中で「きゃーっ!」って言ってしまいます。(それにしてもたまにいる、図書館の本に書き込みをしている人は一体どういう考えでそんなことができるんだ?一度会って真意を問いただしたいです)

 

カップラーメンの蓋を抑える代わりに本をおいた学生時代の友人宅では、(し、湿気がぁー!)と思い、こっそり本を他のものに変えておきました。もしティッシュの箱にものすごい愛情を持った人が読者にいたらごめんなさい。

 

僕は読んでいる最中の本は基本的にカバーをして、しおりは大事な部分にマークしているフィルム製の付箋を、横に貼り付けて使用しています。これなら本は痛みません。付箋はただ持ち歩くとなくすので、本のカバーに貼り付けておける「coco fusen」という商品が便利です。

 

そして本を読み終えたら、感謝しながらカバーを外して装丁などを一通り書棚に入れる。と、ここまでが読書だと思います。

 

つまりは「校長先生が家に帰るまでが修学旅行です」と言った時に似た感覚ですかね。違うかもですが。

 

と、まあここまであまりにも偏った(偏ってるのは自覚しています)僕の「読書」における本の扱い方を言わせていただきましたが、それにはきっかけがありまして。

 

先日、上司から本をいただいたのですよ。「この本、良いから是非読んでみて」と。ある方がツイッターに書いた格言?をまとめたものらしく、本の内容自体は「僕は好きなタイプではないけど、この上司は好きそうだな。」というのが正直な感想でした。

 

でも、その上司は感銘を受けた本を僕に勧めてくれたわけですから、そのお気持ちは大切に受け取らせていただきました。新しい本を教えていただくのは大変ありがたいですし。

 

が、ここからほんのちょっと毒吐きます。

 

その本がもうね、ヨレヨレなんですよ。大好きな本だから何度も読み返してヨレヨレなんかじゃない。明らかに粗末に扱われたのが一目瞭然でして。本の側面にはマジックかなんかの汚れもついてるし、ページは折れてるし(ドッグイヤーとして折ったわけではなく折れてしまっていたという感じ)、当然カバーなんかかけてないし。

 

もう、それ見たら本の内容うんぬんよりも、本がかわいそうでかわいそうで。

 

ああ、この人は感銘を受けた本でさえ、粗末に扱う人なんだなと。そして自分が感銘を受けたならそばに置いて置きたいのではなくて、そのまま人にあげてしまうひとなんだなと思いました。

 

本をいただいたことは何度も言いますが、感謝しています。でも「本に対して愛情がない人」。それ以上でもそれ以下でもないのですが、きっと本当の意味でこの人と僕は、わかりあうことはできないだろうな。と思ってしまいました。

 

たかだか本の扱い一つでおおげさなと思う方もいると思います。でも、人間関係のほころびは、思いもかけない小さな相違が発端となることなんてザラにあることを、あなたもきっと知っていると思います。

 

「自分で買った本なのだから、線を引こうが、書き込みをしようが、自由に読んでいいだろうよ」まったくもってそのとおり。僕、そこは全然否定していません。本を大切に読むための手段が人それぞれなのは当たり前です。

 

ただ、自由であるからこそ、僕個人の考えとして、「本」は大切にしてほしいなぁ。と思うのです。

 

その考えは、料理を作った人が「冷めないうちに食べてほしいな」と思うのと同じくらい、僕にとっては自然な感情なのです。

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cotaka

cotaka

生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

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