僕の異動の仕方 つらくても会社が辞められない人たちへ

こんばんは。ただいまcotakaです。

 

日中、記事に書いた通り、歓迎会兼送別会から帰って来ました。

 

歓迎されるのは4月に入社したふたりの新人さん。そのうち、ひとりについては過去にちょっと面白い受け答えをしていて記事に書きました。いいネタをありがとう。

 

 

で、送別されるのは、僕でした。

 

はい。あと数日出勤はあるものの、僕、送られちゃいました。

 

とはいっても、退社するわけではなく、勤務地が変わり、通勤時間が30分ちょっと 伸びるだけです。いわゆる異動ってことですね。自宅も変わらず「うどん、カエル、祭」の街のままです。

 

ただ、この異動にはひとつだけ、単なる会社からの一方的な辞令とは異なる点がありました。

 

それは、僕自身が「直接の上司を通さずに、異動を本社の人事部に直接申し出て」受理されたことです。

 

なぜそういうことになったのかは、あまり細かくは書けないのですが、僕はちょっとうつ病をこじらせてしまい、今年の3月に1ヶ月間入院をしました。幸い退院することができて、ちょっと元気になって職場に戻ってみると、入院前となにも変わっていない現場がそこにはありました。

 

うつ病の患者が同僚の中で出て、入院までしたのに。

 

本当になにも変わってませんでした。この環境ではまた、悪化させてしまうかもしれない。そう思った僕は主治医の先生に相談をしました。

 

先生の答えは、「今は入院したことで、少し元気が戻っている。このままではまた悪くなってしまうかもしれないから、元気なうちにきちんと会社に掛け合ってみた方がいい。」というものでした。

 

元気なうちに、頭が働くうちに。というのはとても重要な点です。残念ながら頭が働かなくなって、理屈が通らない人の言ってることを聞いてくれる人はそうそういません。

 

僕はその次の日、ここ2年で職場であったことについてA4用紙10枚にまとめ、その他物証のコピーを添えて資料を作りました。まとめたのに10枚もあったことに、自分でも驚きました。このA4用紙 10枚分、僕は我慢してきたんだなと思いました。

 

ただ、資料には「該当する人物の処罰は求めているわけではないこと」、「なるべく客観的に書いたつもりだが、僕からの一方的な視点で作成した資料であること」、「資料作成の目的は僕自身の病状の再悪化をさけるため、主治医の診察のもと、異動を願い出るためであり、私利私欲のためではないこと」などの文章を添えました。あくまで目的は、自分の病気を悪化させないために環境を変えることだったのです。

 

そして、本社の人事部の方連絡をとり、産業医の先生を交えて面談を行いました。配布した資料にはみなさん驚いていましたが、きちんと受け止めてくださいました。

 

そして、それから結局4ヶ月ほどかかってしまいましたが、なんとか再悪化する前に異動が決まりました。

 

僕がこの記事で一番言いたいことは、自分の武勇伝?とかではありません。

 

世の中には、病気のために会社を辞めた方がいいと思える人がたくさんいると思います。でも、家族の生活のために会社を辞めることができない。そういう人もたくさんいると思うのです。

 

『「死ぬくらいなら会社やめれば」ができない理由』という本があります。僕も読みましたが、たしかにその通りだと思いました。

 

本に載っているような状態になる前に、もし力が少し残っているなら、僕がしたような会社を辞めないで環境を変えるという方法もあるんだよ。と苦しんでいる人たちに伝えたくてこの文章を書きました。

 

僕が書いたことが社会的に正しいかどうかはわかりません。

 

でも、選択肢はできるだけたくさん、いろいろ知っておいた方が、病気と闘うにしても有利だと僕は思います。

 

あわよくば、「どこかの誰かにこの気持ちが届きますように」と心から願っています。

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cotaka

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生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

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