ビリーフ 今まで僕を苦しめてきたもの

こんばんは。cotakaです。

 

僕は9月から心理セッション(カウンセリング&コーチング)を受けています。

 

一昨日行われたセッションでは、僕に物心ついたとき(多分幼稚園くらい?)から「こころ」にこびりついていたビリーフを手放しました。

 

「手放しました」と簡単に書きましたが、およそ30年以上自分の中にこびりついていたビリーフを手放すことは一大事でした。

僕が手放したビリーフとは?

一言でいえば、「僕はちゃんとやらなければ生きてる価値がない」というもの。

 

「『生きてる価値がない』なんておおげさな。」と思われるかもしれませんが、本当にそう思っていたんだからしょうがない。

 

そりゃ毎日、「生きてる価値がない」なんて思い続けているわけではないですよ。

 

だってビリーフは潜在意識にあるものだから、なかなか顔を出してはくれません。

 

だから、この「ちゃんとやらなければ生きてる価値がない」を見つけ出すこと自体一苦労でした。

 

でも、コーチの矢作雅子さんの力を借りて、なんとかこのビリーフを見つけ出しました。

 

 

見つけたらスッキリしたか?

見つけた瞬間の正直な感想は、「ゾッとした。」です。

 

もし僕以外の人が「ちゃんとやらなければ生きてる価値がない」なんて言ってたら、本心で「そんなことないよ。」と言うと思います。

 

それなのに、自分自身はそう思い込んでいたんです。そして、それに気づかないようにもしていた。気づいたらつらいからね。

 

でもこのビリーフを見つけたときには、「今まであやふやにしていた、これまでの人生で感じていたこと」が線で繋がった感覚がありました。

 

「ああ、だからあんなこと思ったんだ。」とか「だから、あそこで違和感を感じたんだ」とか。

 

そういうのが瞬間的にピシッと結びついた感覚です。

 

 

じゃあ、なんで「ゾッとした」のか?

僕には子どもが2人います。小学生の女の子と幼稚園の男の子。

 

基本的に僕は我が子に甘い(自覚なし)らしいのですが、たまに子どもを叱る時に一番言っていたのが「ちゃんとしなさい」だったからです。

 

自分では自覚してなくても、潜在意識の中で長年僕を苦しめていた「ちゃんとしないといけない」というビリーフを我が子にも伝えようとしていたんです。

 

これは本当に恐ろしい。自分のことはともかくとして、自分の子どもが将来苦しむことは堪え難いことです。

 

それなのに、自分は無自覚とはいえ、そうなるように子どもを叱っていた。

 

「今気づいて本当によかった」と思いました。

 

 

ビリーフをとったら解決か?

細かい方法などはいずれ、僕の心理セッションが終わった時にまとめてお話します。

 

ひとまず「ちゃんとやらなければ生きてる価値がない」というビリーフは心から取り去ることができました。

 

そこで一件落着。とはならないのがビリーフの難しいところ。

 

なにせ、30年以上僕の中にずっとあったビリーフは、隙さえあれば元に戻ろうとします。

 

古いビリーフを取り去った穴には、新しいビリーフ、僕を苦しめないビリーフを代わりに入れる必要があります。

 

 

新しいビリーフは?

新しいビリーフで大きいものは2つ。「僕には無条件で生きる価値がある」と「僕は自由に生きていい」というもの。

 

「え?それだけ?当たり前じゃん」と思うでしょう?

 

それが僕にとっては当たり前なことではないんです。

 

人がなんと言おうとこの2つのビリーフは、僕の中には全くないものだったからです。

 

一見自由にやってきたように見えるかもしれません。うちの奥さんなんて特にそう思うかも。

 

でも、子どもの頃から僕は条件つき(〜したからとか)でしか褒められたことはなかったです。

 

大人になってからも「自由に生きていい」と本心で思ったことはなかったです。

 

他人のことはちゃんと許せるのに、自分自身にはその許可が出せない。

 

ひとのこころは本当に不思議なものです。

 

 

まとめ

 

新しいビリーフを自分に埋め込む方法、僕が今実際に取り組んでいる「インカンテーション」については、また後日解説を書きたいと思います。

 

もうちょっと自分の中でこなれてから、お話しますので、それまでちょっとだけおまちください。

 

僕もまだ挑戦中で余裕がないのです。ごめんなさい。

 

でも、今苦しんでいる人たちのためにも、あとでちゃんと書きますからね。

 

 

(2017年9月23日追記)

この記事を書いた時点ではビリーフを心から感じてはいませんでした。本当に心を揺さぶられたのはこの次の日、22日のことでした。

 

その顛末というか、人生の大きなターニングポイントとなった日のこともいずれ書こうと思います。

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cotaka

cotaka

生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

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