うつ病を越えて その0  自分がうつ病になってわかったこと。

今日はお祭り的な感じが満載の、1日でブログ7更新(#7blogs)チャレンジの日。

 

そんなイベントの時に似つかわしくないかとも思った。

 

でも、以前から自分の「うつ病」に関しては、不定期に書いていこうと思っていたので、ようやく始めようと思う。それが今日だっただけだ。

 

なんのために?

 

分かりきっている。今現在同じ病気で苦しんでいる「あなた」のためだ。

 

僕の書く、僕の経験談があなたの力にならないかもしれない。

 

それも重々承知している。そもそも僕自身が2017年10月9日現在、「うつ病」を乗り越えてなんかいない。

 

今でも定期的に病院に通い、1日に3回薬を飲んでいる。

 

ではなぜそんな状態で「書く」のか?

 

それは僕自身が、いつあなた側に戻るかはわからないからだ。

 

僕は今、幸いにして「うつ病」を乗り越えられそうだと感じている。

 

しかしだ。

 

いつ、どんな形で、何が原因でかはわからないが、僕があなた側に戻る可能性は常にあるのだ。

 

だから僕は書く。

 

あなたの力にはなれないかもしれないし、そもそもこの文章があなたに届くかさえも怪しい。

 

でも、僕は文章が書けるうちに、自分がどうして「うつ病」を乗り越えられそうになったのかを書いていく。

 

もしかしたらそれがあなたの力になる可能性もゼロではないから。

 

今日は、僕がなぜ「うつ病」になったのかを書き始める前に、あなたに伝えておきたいことを書く。

 

だからその1ではなくて、その0だ。

 

「うつ病」は誰がなんと言おうと、つらい病だ。

 

できることならならない方が絶対にいい。

 

一度なってしまうと、思いのほかたくさんの時間が、自分のしらないところであっという間に流れていってしまう。

 

繰り返すが、ならないで済むなら絶対にならない方がいい。あなたもそう思っているだろう?

 

でも、この病気になって得たものが確かにある。

 

だからといって、なって良かったなんてことはいえないけども。

 

僕たちが得たもの。この病気になっていない人が持っていないもの。

 

それは「この病気の辛さがわかる」ということだ。

 

こればかりはなってみないと絶対にわからない。

 

苦しんでいるあなたには、今はまだ分からないかもしれないが、この病気の辛さが分かるということは、かけがえのない貴重な感覚だ。

 

その感覚がなければなしえないことは、思っているよりもずっとたくさんありそうだ。

 

僕も最近気づいたから詳しくは説明できないが、あなたの苦しみが誰かのためになる時がきっと来る。

 

だから、そのときまで生きてくれ。

 

僕の昔の話は、明日以降にゆっくりと書くよ。

The following two tabs change content below.
cotaka

cotaka

生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

スポンサーリンク