デジャヴ

こんばんは。cotakaです。

ブログ更新としては、不完全燃焼気味の1日でしたが、もうこんな時間です。

今日はそういう日だったと割り切って明日を待ちましょう。

 

んじゃ、例によって眠りにつく前の文章を書きたいと思います。

みなさん、「デジャヴ」という言葉は聞いたことがあると思います。元々はフランス語で、英語表記では『déjà vu』と書きます。

日本語で訳すと「既視感」。つまり、初めて視たもののはずなのに、過去にも視た気がする感覚のことです。

でも「既視感」とはいうものの、それを過去にいつ、どのような状況で見たのかをしっかりと思い出すことは稀だとされています。「あー、これ、確かにどっかで見たんだけど、いつだったっけ?」というやつですね。

デジャヴに関しては古典的な書物などにも記されていて、近年の情報過多の時代になって急に出てきたものではないことはわかっています。でも、なぜそういうことが起こるのかは、脳科学的に「短期記憶と長期記憶の混乱」が原因ではないかとされているものの、はっきりとした原因はまだ証明されていないようです。

 

さて、ではここでちょっとだけ話を変えますが、「デジャヴ」には相対する現象があることをみなさんはご存知でしょうか?

「デジャブ」に相対する現象は「ジャメヴ」といいます。英語だと『jamais vu』と書き、日本語では「未視感」と訳されます。

「デジャブ」が視たことがないはずなのに、視た感覚のことですから、「ジャメヴ」は視たことがあるはずなのに、まるで初めて視たように感じる感覚のことをいいます。

 

僕は「ジャメヴ」の存在を10代の、確か浪人生時代にある本から知り、大変興味を覚えました。

絶対に視たことがあるのに、初めて視た感覚とはどういう感覚なのだろう?僕が初めて書いた脚本のテーマの一つに選んだほどです。

「デジャヴ」は何度も経験していましたが、「ジャメヴ」は経験したことがなかったのも大きく惹かれた理由の一つだと思います。そして、いつかその不思議な「ジャメヴ」という感覚を経験してみたいと願っていました。

 

結果として、それから20年以上経った今までその「ジャメヴ」には出会えていません。

そして、その感覚を是非味わってみたいという想いにも少し変化が出てきました。前より「ジャメヴ」という感覚に魅力を感じなくなったんです。

 

その理由は「絶対に視たはずなのに、初めて視た感覚」を感じたくない「対象」が10代の頃よりも増えてしまったからだと思います。

 

その「対象たち」は、僕がこの文章を書いている隣の寝室で、ぐっすりと眠りについています。

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cotaka

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生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

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