【メンタルコーチとしての活動について】

遠い雲の風景

こんばんは。メンタルコーチのcotaka(コタカ)です。

 

さて、NO BORDER認定メンタルコーチのとしての活動を本格的にはじめて、少し時間が経ちました。

 

現在もありがたいことに、継続でコーチングを受けてくださっているクライアントさんがいらっしゃいます。

 

コーチングを引き受けたからには、クライアントさんのために全力投球。忙しい毎日です。

 

そんな忙しい毎日ですが、同時にとても充実した日々でもあります。

 

日に日に元気に、力強く変化していくクライアントさんを近くで見られること。

 

これほどの幸せは、コーチとして得られる最高のものだと感じています。

 

 

そんな幸せを感じているうちに、僕はもっと多くの方の力にもなりたいという思いが強くなってきました。

 

そこで、一度こっそりと締め切らせていただいた、無料の体験セッションの募集を再開しようと思います。

 

募集は数名のみとなってしまいますが、近々、facebookとブログ上で募集の詳細をお知らせをいたします。

 

いましばらくお待ちいただけたら幸いです。

スポンサーリンク

自分は父親失格だと思っていた

サッカーと少年

最近僕は、SNSに自分の子どものことを投稿する。

 

そしてありがたいことに、良い反応をもらうことがある。

 

我が家では普通だと思っていたことを発信して、「面白い」「和みます」と言われることは、とても幸せなことだと思っている。

 

なんで、子どもに関しての投稿が増えたのか?

 

それは僕が子どもたちと、ようやく向き合えるようになったからだと思う。

 

 

1年前の僕と子どもたち

 

僕は子どもが好きな方だと思う。

 

自分の子どもはもちろんだが、人のお子さんもかわいいと思う。

 

愛されている子どもを見ると幸せな気持ちになるし、逆の立場の子どもの話を聞くと胸が苦しくなる。

 

でも、だ。

 

1年前の僕は、自分の子どもにとまどいを感じていた。

 

もちろんかわいいとは思うし、「好きか?」と訊かれれば「好きだ」と即答しただろう。

 

でも、心のどこかで、そんな子どもたちを疎ましく思う瞬間が確かにあった。

 

遊んで欲しいと子どもたちと言われた時、なんとなく嫌だと思う感情はあって、でも遊ばないといけないとも思っていて。

 

「遊んであげている」という思いが常にあった。

 

そして、そう感じる自分が心底嫌いだった。

 

 

当時の僕の感情

 

僕がその頃子どもたちと遊んでいたのは、それが父親として当然だという思いが僕にあったからだ。

 

自分がどんなに忙しくても(思い返すと、本当は忙しくなんかない)、体調が悪くても、遊んで欲しいといわれれば、「遊ばないといけない」と思っていた。

 

そんな義務感で遊んでいても、当然僕は楽しくない。

 

子どもと遊んで、楽しくないと思っている自分が嫌だった。

 

だって、それは僕が思う「理想の父親」像と大きく違うから。

 

当時は自分のそんな思いを、子どもたちから隠すのに必死だった。

 

でもきっといつか、子どもたちにこの思いがバレるだろう。

 

バレたら嫌われる。それは嫌だ。

 

だから必死に隠していた。

 

一方で疎ましく思いながらも、もう一方で嫌われたくはない。

 

そんな無茶苦茶な感情を抱いていた。

 

今から思えば、どっちが子どもだかわかりゃしない。

 

 

理想の父親像

 

僕が当時、子どもたちとの関係がうまくいってなかった理由。

 

今ではもう、わかっている。

 

僕は自分が勝手に決めた理想の父親像にしがみついて、自分とのギャップに苦しんでいたんだ。

 

理想の父親になれない。

 

無意識に、それは子どもたちのせいかもしれないとも思っていたのかも。

 

そんな父親像が僕の中でどうして出来たのか?

 

原因は一つには絞れない。

 

自分の父親の姿も当然関係してるし、もしかしたら親戚や、テレビや小説の世界の父親も関係しているかもしれない。

 

でもなにより、一番大きな原因は、僕自身の心の問題だろう。

 

僕は自分の子どもたちより先に、自分の中にいる子どもの自分と向き合う必要があったんだ。

 

時間は少しかかったが、メンタルコーチングを受けてそのことに気づいた時、僕の子どもたちとの接し方は大きく変わった。

 

 

子どもたちとの今の関係

 

不思議なもので、自分の父親像への思い込みが溶けた後、子どもたちとの関係も一気に変わった。

 

別に子どもたちはそれまで通りだったけど、僕の中で感じ方が大きく変わった。

 

実際に、遊ぶ時間が増えたり、減ったりしたわけではない。

 

でも、今は子どもたちと遊んでいるのが楽しい。

 

遊んでいる時間、話している時間。

 

いろんなことで同じ時間を過ごせること。

 

それはどれもかけがえのない大切な時間だ。

 

 

そのことに気づけるようになって、本当によかった。

スポンサーリンク

今日1日、何をしただろう?

懐中時計

僕は今日、休日だ。

 

休日だけど、やりたいことがたくさんあって、なかなか忙しい。

 

確かに忙しいのだけど、予定はすべてやりたいことなので、そこには充実感がある。

 

そして、実際には予定全部が今日中に終わらなくてもいい、と思っていたりもする。

 

 

でも、ちょっと前までそんな休日の過ごし方はしていなかったんだよ。

 

やりたいことはたくさんあった。

 

でも、やる時間がなかった。

 

時間がないからやりたいことができない。

 

出来ない自分にイライラする。

 

時間がないのを家族のせいにもして、またイライラする。

 

結局何もやりたいことができないまま、イライラして休日が終わる。

 

そんな休日の繰り返し。

 

でも、今は違う。

 

 

なんでやりたいことができるようになったのか?

 

あなたはどうしてだと思う?

 

時間が増えたから?

 

ううん。違うよ。

 

確かに効率化とか、時間術の本は確かにたくさん読んだよ。

 

でも、それで本質的な時間が増えたわけじゃない。

 

時間は古今東西、だれにでも平等だ。

 

1日は24時間。それはずっと変わらない。

 

僕が充実した休日を過ごせるようになったワケ。

 

それはコーチングをうけて、「本当にやりたいこと」をやるようになったからだ。

 

 

本当にやりたいことは何か?

 

「だから、そのやりたいことをやる時間がないんだって!」

 

そう思うよね?

 

でもあえて訊くよ。

 

それは本当にやりたいこと?

 

もしあなたが本当にやりたいことなら、大丈夫。

 

あとはやり方の問題だから、解決できるよ。

 

でももし、本当にやりたいこと?って訊かれて迷うようなら?

 

本当にやりたいことって何?と訊かれて困ってしまうなら?

 

やりたいことが出来ないんじゃなくて、本当にやりたいことがわからないんじゃないかな。

 

僕は本当にやりたいことは?って訊かれてはじめて、答えられない自分に気がついた。

 

だから、本当にやりたいことがわかった時、実は時間はちゃんとあることにも気がついた。

 

 

本当にやりたいことがわかるとどうなるか?

 

本当にやりたいことがわかると、時間の使い方に迷いがなくなる。

 

迷いがなくなるから、行動できるようになる。

 

行動できるから、結果として予定が終わるようになる。

 

もし、予定が全部終わらなくても、もうイライラすることはグッと少なくなる。

 

だって、やらなくちゃいけないことじゃなくて、本当にやりたいことをやって、少しでも前に進んでいる自分に気付けるから。

 

そして、人生は行動の繰り返しでできている。

 

「思えば自分もずいぶん遠くまで来たな。」

 

そう思える日が、あなたにもきっとくる。

 

 

あなたが本当にやりたいこと

 

今はわからなくても、その答えはあなたの中にちゃんとある。

 

自分にはなにもないと思っていた僕にもあったんだ。

 

もしあなたがひとりで探すのが難しいなら、一緒に探そう。手伝う準備が僕にはある。

 

もう一度訊くね。

 

あなたが「本当にやりたいこと」は何だろう?

スポンサーリンク

ポジティブ?ネガティブ?

日食

あなたは「ポジティブ」だろうか?それとも「ネガティブ」だろうか?

 

もし「ネガティブでいること」や「ポジティブになれないこと」に悩んでいるなら、話をきいてほしい。

 

実はその悩みの本質は、ポジティブシンキングにも、ネガティブシンキングにもないんだ。

 

 

ポジティブでいないといけないの?

 

今、世の中はポジティブが溢れかえっていると思う。

 

書店やテレビや音楽。

 

どこをみても、ポジティブシンキングでいることが正しいこととされている。

 

僕は、別にポジティブを悪いものだと言っているわけではない。

 

でも、ネガティブも悪いものだとも言っていない。

 

そして「ポジティブでいる」と「ポジティブでいなければならない」は大きく違うことだと思うのだ。

 

巷にあふれているポジティブはこの「ポジティブでいなければならない」に近い気がする。

 

そういう世界は、ネガティブを感じやすい人にとって、とても生きづらい。

 

「どうしてもっとポジティブになれないんだろう?」

 

「なんですぐにネガティブな気分になってしまうんだろう?」

 

「ポジティブシンキングな人になりたいのに。」

 

どうしても、そういうふうに悩むことになってしまう。

 

ネガティブシンキングでいる自分が世の中から責められている気がする。

 

あなたもそんなふうに悩んではいないだろうか?

 

僕はずっと、そんなふうに悩んできたよ。

 

 

コーチングで学んだポジティブ・ネガティブ

 

僕はうつ病になったり、さらにもっと昔からネガティブシンキングに悩んできたので、自分自身をネガティブな人間だと思っていた。

 

人にもそう言われていた。

 

だから自分は、ネガティブで、メンタルが弱い人間だと思って生きてきた。

 

そんな人間がコーチングを受けた時に言われたこと。

 

「ポジティブではないけど、逆にネガティブを本当に感じているわけでもない。」

 

(・・・え?いやいやいや!違う!)と正直思った。

 

「ネガティブですって。病気になるくらいのネガティブシンキングってことでしょ。」

 

そのようなことを言った気がする。

 

でも、結論はそうだったんだよ。

 

僕はポジティブを感じていないのはもちろん、ネガティブも本当は感じていなかったんだ。

 

そして、それに気づいてもいなかったんだ。

 

 

本当の感情を感じるために

 

コーチングを受けていく中で、本当の感情を感じる練習をする。

 

別に怖いことではないよ。

 

赤ちゃんが、初めて歩き始めるときのように、少しずつ本当の感情を感じる練習をするんだ。

 

赤ちゃんは自分が歩くことを、怖いとは思っていないだろう?

 

ただ、少しずつ練習を重ねる。

 

そういう練習方法がメンタルコーチングにはある。

 

それに危ない方向に行かないように、注意してみてくれているコーチがちゃんとそばについている。

 

ちゃんと見てくれている人がいる。

 

赤ちゃんと同じように、自分は怖がらずに、ただ歩く練習をするだけでいい。

 

 

本当の感情を感じるとどうなるか?

 

本当の感情を感じると、結果としてポジティブは増え、ネガティブは減る。

 

「なんだそれ?なんで?」と思っただろう?

 

そう思うのは普通だよ。

 

僕はコーチから初めて説明を受けた時、そう思った。

 

そして、僕が今コーチングを行ってるクライアントさんにこの説明をしたときも、そのような反応をしたからね。

 

そう思うのはきっと普通。

 

でもね、実際に僕も、そのクライアントさんも今はその通りになっている。

 

ポジティブは増え、ネガティブは減っているんだ。

 

 

ポジティブシンキングになれるのか?

 

そこだよね。今悩んでいるのはそういうことだもんね。

 

これについては、人によってコーチングうけた後の感覚が違うかもしれない。

 

だから僕の話をするよ。

 

コーチングをうけてネガティブは減った。でもなくなったわけではない。

 

ポジティブも増えたけど、完全にポジティブ人間になったわけでもない。

 

でもポジティブ・ネガティブで悩むことはなくなった。

 

この話の冒頭で、「悩みの本質はポジティブシンキングやネガティブシンキングにあるわけではない。」と書いたのはこういうわけだ。

 

人にはポジティブな感情も、ネガティブな感情も確かにある。

 

「そこに感情があるという事実。ただ、それだけ。」

 

本当の感情が感じられるようになった僕は、ポジティブな感情も、ネガティブな感情もしっかり感じるが、それについて悩むことは完全になくなった。

 

長年悩んでいた「自称」ネガティブ人間がだ。

 

そして、今の僕は気持ちがとても軽い。

 

 

ネガティブシンキングだと自分のことを思っている人に、

 

「ネガティブなことは考えないように。ポジティブなことを考えよう。」

 

と言ってもそれは無理だと思う。

 

だって、ネガティブなことを考えたくて考えてるわけじゃないもんね。

 

考えちゃうんだもんね。

 

僕はそうだったよ。

 

だからネガティブなことを考えちゃうことはまずいいとして、そこからどうしていくかを一緒に考えましょうよ。

 

その方がずっと早く、楽になれるよ。

 

僕はそう思うけど、あなたはどう思う?

スポンサーリンク

自己肯定感が低いですか?

気球

自己肯定感が「低い」

「自己肯定感が低い。自己肯定感を高くしたい。」

 

なんていうことを、長年僕は悩んでいた。

 

自己肯定感を上げるために高額のセミナーにも行った。

 

書店に通って自己肯定感を上げる方法についての本を買い漁った。

 

思いつくものは片っ端からチャレンジして、お金も時間も投資した。

 

でも、自己肯定感が上がることはなかった。

 

ただ、いつまで続くともわからない、なんとなく灰色の毎日を送っていた。

 

もし、あなたが「自己肯定感の低さ」について悩んでいるとしたら、そてはごく普通のことだと思う。

 

悩んでいるあなた自身は、ともすれば身を捩ってしまうほど自己肯定感について悩んでいたとしても、それはきっとあなただけではない。

 

だって僕だってずっとずっと悩んできたんだし。

 

お互い、よく頑張ってきたよね。悩んできたよね。

 

僕は幸い、あなたよりちょっとだけ先に、この「自己肯定感についての悩み」の答えを見つけたよ。

 

今日はそのことについて少し話そうと思う。

 

 

自己肯定感の評価とは

あまりにいろいろ考えて、実践してもうまくいかなかったある日、僕はふと疑問に思った。

 

そもそも「自己肯定感が低い、高いという評価は正しいのだろうか?」

 

なんでその疑問が頭をよぎったのか、今でもよくわからない。

 

きっとあまりにいろいろなことがうまく行かなすぎて、苦し紛れに出てきた疑問だったんだろう。

 

そして、この疑問を持ったからと言って、答えが見つかったわけではない。

 

現実逃避の結果、偶然でてきたのかもしれない。ただ、疑問に思ったんだ。

 

そして、その答えはメンタルコーチングを受けたことで、ようやく見つけることが出来た。

 

 

「高い、低い」から、「ある、ない」へ

メンタルコーチングを受けて、僕が見つけた答え。

 

それは自己肯定感というのは、「高い、低い」で判断するものではない。

 

「ある、ない」で評価するものだったということだ。

 

そして、さらにコーチングを続けて最終的に出した答えは、

 

「誰しも自己肯定感は『ある』。ただ、それに気づいていないだけだ。」ということ。

 

今この答えをきいても、悩んでいる最中にいるあなたにはピンとこないかもしれない。

 

僕があなたの立場だったら、きっとそうだろう。

 

少し前には同じ場所に僕もいたのだから、その気持ちはよくわかる。

 

でも、最終的にその答えにたどりついて心に沁みた時以来、僕は「自己肯定感」について悩むことはなくなった。

 

自己肯定感に悩まなくなった毎日は、想像した以上に明るいよ。

 

僕が受けたコーチングは、信仰心や催眠のようなものはいらなかった。知識と技術を学んだんだ。

 

今回のことで言えば、「長い間無意識に隠していた感情」を見つけ出したことに、解決のヒントがあった。

 

もしも今、あなたが「自己肯定感」について悩んでいるとしたら、僕が理解して経験したことを話してみたい。

 

それであなたの悩みが軽くなるのなら、僕はうれしい。

 

あなたは自己肯定感を高くしたいですか?

 

それともすでにあることに気づきたいですか?

スポンサーリンク