「書き言葉」と「話し言葉」 ブログ記事にしてみえてきたもの

メモ帳とペン

先日「書き言葉」と「話し言葉」について、このブログの記事を更新した。

 

記事の最後は「あなたは『読んで』いますか?それとも『聴いて』いますか?」と締めくくったところ、Facebook上でいくつかコメントをいただいた。

 

実はその記事を書く時、僕はちょっとした「実験」を行っていた。

 

いただいたコメントからその実験についての回答と、僕の中で新しい考えが得られたので改めて書こうと思う。

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「書き言葉」と「話し言葉」 ブログに書くのはどちらがいいのだろう?

メモ帳とペン

最近、「書き言葉」と「話し言葉」について考えることが多い。

 

僕は小学校の授業で作文を書いていた時、先生に「友達に話しているように書きましょう」と言われた。

 

なかなか筆が進まなかった僕に対してのアドバイスだった。

 

どの程度そのアドバイスが効いたのか?その結果、なにを書いたのか?についてはさっぱり覚えていない。

 

ただ、「友達に話しているように書きましょう」。その一言だけは覚えている。

 

その後小学生の僕は、いつものまにか「先生ウケ」のいい作文は書けるようになっていった。

 

文章力が上がったから?

 

僕はそうは思わない。

 

学校で書く作文には「先生ウケ」の良い「正解」がある。

 

その「正解」を書く技術を身につけただけだ。まったくもって嫌な子どもである。

 

 

技術だけを身につけた僕は、しばらくその先生の言葉を忘れていた。

 

そのアドバイスを久しぶりに思い出したのは、大学生になって芝居の脚本を書き始めた時だ。

 

芝居の場合、当たり前だが役者は僕の書いたセリフを話す。

 

大切なのはセリフを「読む」のではなく、「話す」ということだ。

 

僕は演出を兼ねていたので、自分が書いたセリフを役者が「話す」のを、誰よりも注意深く聴いていた。

 

しかし、脚本を書いていた時に頭で描いていたシーンが、実際に役者に演じてもらうとイメージ通りには見えてこないことが時々あった。

 

役者の技術のせいで、ということはもちろん少しはある。

 

しかし圧倒的に多かったのは、僕の書いたセリフが、「話し言葉」になっていないことが原因だった。

 

「書き言葉」は生身の人間が「話す」と、なんともいえない違和感が残るのだ。

 

そんな時僕は、役者にセリフの意図を説明しながら、その場でセリフを「書き言葉」から「話し言葉」に直していった。

 

そして、新しく生まれた「話し言葉」は、ほとんどが「書き言葉」よりも情報をそぎ落としたものになっていた。

 

はっきり言って、直したセリフだけを読んでいたら全く意味がわからない。

 

そこに役者の演技や感情が(時には小道具も)入らなければ、そのシーンそのものが成り立たない。

 

脚本だけを書いて演出時の指示もないまま、こちらが想像していたシーンをイメージどおり演じてもらうということ。

 

これがいかに難易度が高いものかは、なんとなく想像していただけると思う。

 

そう考えると小学校の時に先生が言ってくれたアドバイス、

 

「友達に話しているように書きましょう」。

 

これはつまり、「友達に『話して』いるように、『書き言葉で』書きましょう」という意味だ。

 

今思えば、なんて難しいことを小学生にアドバイスしたものだ。

 

 

さて、ここからが本題。いやホントに。

 

どうして最近の僕が、「話し言葉」と「書き言葉」について考えるのかについて。

 

このブログを開いてくれたあなたは、はたして文字を「読んでいる」のか?、それとも「僕が話している」のを「聴いて」いるのか?

 

これがどうもわからない。どっちなんだろう?

 

「そりゃ、ブログなんだから『読んでいる』でしょう!」とあなたは答えるかもしれない。

 

はい。それはよくわかります。文字ですからね。

 

でも僕自身は、どちらかといえば文字を「読む」時に、書いた人が話しているのを「聴いている」気がする。

 

会ったことのある人ならその人の声で、会ったことがなければ声も想像で。

 

自分がそんな読み方をしていることに、実は最近気がついた。

 

そして、「あれ?僕のブログを見てくれた人たちはどっちなんだろう?」と考え始めてしまった。

 

この区別が僕の中で大切なのは、記事を書く時に「書き言葉」で書くのか、それとも「話し言葉」に寄せて書くのかが違うからだ。

 

「『話し言葉』に寄せる」と書いたのは、完全な「話し言葉」にすると意味が通らないからだ。芝居のセリフのように。

 

さて、改めて尋ねたい。

 

あなたは「読んで」いますか?それとも「聴いて」いますか?

 

 

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アファメーションとインカンテーション 新しいビリーフを手にする方法

原っぱ

こんにちは。cotakaです。

 

僕は今、心理カウンセリング&コーチ(以下、心理セッション)を受けています。

 

心理セッションを重ねた上で、自分の「こころ」を縛り付けていたビリーフ(強力に根付いた思い込み。自分にとっては絶対的なルール)を取り去りました。

 

ところが、ビリーフを取り去って「ああ、すっきりした」と終わってしまってはいけません。

 

油断すると取り去ったビリーフがまた入り込んできてしまうので、自分の「こころの空いたスペース」に、今度は自分にとって有益なビリーフを埋め込みます。

 

その方法として有名なのが「アファメーション」と「インカンテーション」。

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KONO(コーノ)式コーヒードリッパー その時の気分がコーヒーの味を変える!

kono式

こんばんは。cotakaです。

 

プロフィールにも書いてある通り、僕はコーヒーが大好きです。

 

コーヒーの味が好きなのはもちろんなのですが、コーヒーを飲む時のゆったりとした雰囲気が好きなのです。

 

映画館で映画を観るようなもので、本当はお店で飲むコーヒーこそ、お店の雰囲気込みで大好きです。

 

札幌に住んでいる時はお気に入りのコーヒー屋さんがたくさんありました。

 

でも、埼玉に引っ越してきてからは「これだ!」というお店にまだ出会えてません。少し寂しいです。

 

なので、最近はお店にコーヒーを飲みに行くよりも、自分でコーヒーを淹れる機会が増えてます。

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「人生の主導権を取り戻す『早起き』の技術」  古川武士

「早起きの技術」

こんばんは。cotakaです。

 

今回は「超夜型から朝型への挑戦!」の続きです。

 

ちなみにまだ資料を読み込んでいる(朝型がいかに良いのか?)段階ですので、本格スタートは切っておりません。0日目です。

 

「しのごの言わず、早くやれ」

 

はい。ご意見ごもっとも。でもこうして理屈をこねくり回している時もまた楽しいものですので、ご了承ください。

 

ちなみに睡眠関連本あと2冊手元にあります。

 

今回取り上げるのは、(僕も持ってる)「続ける習慣」や「やめる習慣」などの著書で有名な、習慣化コンサルタント古川武士さんが書いた、

 

「人生の主導権を取り戻す『早起き』の技術」です。

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