最近僕は、SNSに自分の子どものことを投稿する。
そしてありがたいことに、良い反応をもらうことがある。
我が家では普通だと思っていたことを発信して、「面白い」「和みます」と言われることは、とても幸せなことだと思っている。
なんで、子どもに関しての投稿が増えたのか?
それは僕が子どもたちと、ようやく向き合えるようになったからだと思う。
1年前の僕と子どもたち
僕は子どもが好きな方だと思う。
自分の子どもはもちろんだが、人のお子さんもかわいいと思う。
愛されている子どもを見ると幸せな気持ちになるし、逆の立場の子どもの話を聞くと胸が苦しくなる。
でも、だ。
1年前の僕は、自分の子どもにとまどいを感じていた。
もちろんかわいいとは思うし、「好きか?」と訊かれれば「好きだ」と即答しただろう。
でも、心のどこかで、そんな子どもたちを疎ましく思う瞬間が確かにあった。
遊んで欲しいと子どもたちと言われた時、なんとなく嫌だと思う感情はあって、でも遊ばないといけないとも思っていて。
「遊んであげている」という思いが常にあった。
そして、そう感じる自分が心底嫌いだった。
当時の僕の感情
僕がその頃子どもたちと遊んでいたのは、それが父親として当然だという思いが僕にあったからだ。
自分がどんなに忙しくても(思い返すと、本当は忙しくなんかない)、体調が悪くても、遊んで欲しいといわれれば、「遊ばないといけない」と思っていた。
そんな義務感で遊んでいても、当然僕は楽しくない。
子どもと遊んで、楽しくないと思っている自分が嫌だった。
だって、それは僕が思う「理想の父親」像と大きく違うから。
当時は自分のそんな思いを、子どもたちから隠すのに必死だった。
でもきっといつか、子どもたちにこの思いがバレるだろう。
バレたら嫌われる。それは嫌だ。
だから必死に隠していた。
一方で疎ましく思いながらも、もう一方で嫌われたくはない。
そんな無茶苦茶な感情を抱いていた。
今から思えば、どっちが子どもだかわかりゃしない。
理想の父親像
僕が当時、子どもたちとの関係がうまくいってなかった理由。
今ではもう、わかっている。
僕は自分が勝手に決めた理想の父親像にしがみついて、自分とのギャップに苦しんでいたんだ。
理想の父親になれない。
無意識に、それは子どもたちのせいかもしれないとも思っていたのかも。
そんな父親像が僕の中でどうして出来たのか?
原因は一つには絞れない。
自分の父親の姿も当然関係してるし、もしかしたら親戚や、テレビや小説の世界の父親も関係しているかもしれない。
でもなにより、一番大きな原因は、僕自身の心の問題だろう。
僕は自分の子どもたちより先に、自分の中にいる子どもの自分と向き合う必要があったんだ。
時間は少しかかったが、メンタルコーチングを受けてそのことに気づいた時、僕の子どもたちとの接し方は大きく変わった。
子どもたちとの今の関係
不思議なもので、自分の父親像への思い込みが溶けた後、子どもたちとの関係も一気に変わった。
別に子どもたちはそれまで通りだったけど、僕の中で感じ方が大きく変わった。
実際に、遊ぶ時間が増えたり、減ったりしたわけではない。
でも、今は子どもたちと遊んでいるのが楽しい。
遊んでいる時間、話している時間。
いろんなことで同じ時間を過ごせること。
それはどれもかけがえのない大切な時間だ。
そのことに気づけるようになって、本当によかった。

cotaka

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