「うつ病をこえて その0」を書いてから随分と時間が空いてしまった。
多少の離脱症状で体がしんどい時はあるものの、薬は着実に減ってきている。
順調すぎるくらい順調に回復してきているのでご心配なく。
さて、この「うつ病をこえて」は、本当は僕が小さかった頃からを振り返って、どういった思考と環境でうつ病になってしまったか?
そして、どうやってここまで回復してきたか?について書こうと思っているのだが、その前にちょっと寄り道を。
ここ2ヶ月あまり、ほぼ毎日感じていることを書こう。
僕は9月のはじめに会社に申し出て、勤務地を変更してもらった。
うつ病の悪化原因に、上司との折り合いの悪さがあったためだ。
その結果、通勤時間は大幅に増えてしまい、なかなかブログを(Macで)書く時間も作れない状況である。
でも、うつ病の回復にはこの選択が良かったと思うので、後悔はしていない。
その通勤時(特に出勤時)に、毎日のように感じていることがある。
僕は通勤途中で、ある駅で降りて次の乗り換え駅まで歩く。
そして、これはまったくの偶然なんだけれど、その駅というのが僕が2月に入院生活を送っていた病院の最寄駅なのだ。
外出不可の入院ではなかったので、病院の送迎バスに乗って、ときどきこの駅まできていた。
入院初日、この駅から1人でバスに乗って病院まで行った。実はその記憶は全くないけど。
入院して10日ほど経った時、もう平気だろうと思ってこの駅までやってきた。
本や、身の回りのものを買い足したいと思ったからだ。
駅ビルに入って、普通の人に囲まれて、本屋で買い物をして、はじめて「自分が病気であることを実感」した。
怖いのだ。普通に生活している、まわりの普通の人たちが。
いや。正確には、まわりの普通の人たちとは、明らかに自分が違うと認識したことが怖かったのだ。
それまで「僕はもう大丈夫だ」と思っていたので、これにはとても驚いた。そして、恐怖した。
買い物をやっとこなして(人とは言葉を交わすことはできなかった)、再び病院行きのバスに乗って入院先についた時、「助かった」と思った。
入院先についた時、「やっと帰ってこられた」と思った。
そんな思い出がある駅。
その駅を僕は毎日の通勤で使っている。
駅を出て、右に行けば通勤の乗換駅。左に行けば病院の送迎バス乗り場。
僕は毎日、その分かれ道に立つ。
左に曲がる日がもう来ませんように。
そう神様にお願いしながら、右に曲がって毎日を過ごしている。

cotaka

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