狼少年のうそ

こんばんは。cotakaです。

突然ですが、「狼少年のうそ」(本当は「うそをつく少年」という題らしいです)って童話知ってますか?たぶん、ほとんどの人がご存知だろうと思います。

うちの娘の学校から出される宿題に、教科書の音読があって、親はそれを聞いてスタンプカードみたいのに、ハンコを押さなくちゃいけないんですよ。

で、昨日娘が音読した文章の中に、この「狼少年のうそ」が出てきたわけです。さすがに5年生ですから、童話そのものではなく、そこから人は言葉に対してどういう風に感じるのかとかいった内容でした。

でね、まあ何年振りかわからないけど「狼少年のうそ」の話を聞いてたら、ふと考えたことがありまして、それがどんどん頭の中で膨らみ始めたものですから、実は、後半はあまり音読聞いてないんです。ごめんよ娘。

みなさんご存知のとおり、「狼少年のうそ」は「何度もうそを言ってると人から信用されなくなるから、うそはいけないよ。」というお話です。

・・・しかし、村人ってそんなにだまされ続けるのかなぁ。いい大人が。せいぜい1、2回くらいでしょ。それに、そこまで騙され続けてたのに、実際に狼が来た日のタイミングで、ちょうど少年を信用しなくなるなんて、それはご都合主義ってやつじゃないの?少年を信用しなかった村では狼による羊たちの惨劇が繰り広げられちゃったの?

まあ、これは完全に揚げ足とりに近いので、イソップさんにドロップキックを喰らうと思いますがね。

 

で、本題。お話を聞いて思ったんですが、『「うそ」ってそんなに悪いものと言っていいのかな?』

いや、もちろん良くはないってのはわかりますよ。特に心を傷つける「うそ」は、時にどんな刃物よりも人を痛めつけますからね。

でもいい「うそ」、必要な「うそ」っていうのがあるのも、大人の僕たちは知ってますよね。毎日ひぃこら暮らしていると、傷つくこともあるけど、たまに「うそ」に癒される時ってのもあるかと思います。

子どもに「うそはいけないこと」と画一的に教えるのって、つまりは大人の手抜きじゃないの?

はい。反論する人がいるのはわかりますよ。きっとこの意見は人によっては非難GOGO!って感じでしょう。でも、あくまで僕の考えですからね。

そして自分の子どもたちに、その「いいうそ」と「悪いうそ」の違いを教えたいのですが、なんともこれが難しい。

だって、僕と子どもたちには圧倒的な人生経験の差があるし、そもそも僕自身「あの時ついたうそって、いいうそ?悪いうそ?どっちだろう?」と今でも判断にできてないことだってありますし。

でも、ちゃんと教えたいんだよなぁ。「うそ」は全て悪いわけじゃないし、「正直さ」は人を傷つけることもあるんだよって。

自分がいつ、なにをもってそれを知ったのか?もう忘れちゃったけど、このことに初めて気づいた時に、けっこうなショックを受けたことは覚えています。

そもそも教えるものじゃない?子どもたち本人が経験して感じるもの?

確かにそうかもしれませんが、少なくとも僕が知ってる範囲のことは、子どもたちに伝えたいんです。すごく難しくても。

まずそのためには、説明のとっかかりとして『人にとっての「うそ」の必要性』を僕がちゃんと理解できてないと説明できない気がします。で、残念ながら今のところ、まだはっきりとはわかっていません。

でも実は、『人にとっての「うそ」の必要性』を語る上で、大きなヒントが隠れていそうな場所は、もう予想してあるんです。

 

 

「本当に狼が来た次の日、狼少年はまたうそをついたのか?」
イソップさん、教えてくれないかな。

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cotaka

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生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

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