ものがたりのつくりかた

こんばんは。cotakaです。

今回長いです。お時間のあるときに、よろしければどうぞ。

以前、劇団をやっていて、そこで演出と脚本を主に担当していたことを書きました。

その時の記事は主に演出について書いたのが中心だったので、今回は脚本(つまりはものがたり)のつくりかたについて書こうとして、ちょっと待て、僕は何をしようとしているんだとすでに思い始めています。

 

つまりは怒らないでね

僕はプロの脚本家でも小説家でもライターでもなければ、現役の劇団員でもございません。その人間が書く「ものがたりのつくりかた」ですから、思い出話しのようなものだと思っていただけたら幸いです。怒らないでね。

僕の書く脚本は、基本的には当て書きと言って、最終的には役者さんに合わせた役をつくり、演じてもらっていました。普通は演出の方と綿密は打ち合わせをするのでしょうが、演出の方は僕の中にいますので、その辺は楽でしたね。

そんでもって、まずは作品のテーマのようなものを探すことから始めます。「テーマのようなもの」と書いたのは、あんまりがっちりとこれが「テーマ」だというものを決めてしまうと、脚本が強すぎて、実際に役者さんに演じてもらった時に、ただの演じる人形のようになってしまうことが考えられるからです。

舞台は役者さんが輝いてなんぼですから、脚本家は演出家とともに、前に出てきてはいけない。と脚本家と演出家の僕が決めたルールでした。

 

さて、「テーマのようなもの」が決まると次は書く作業です。脚本を書くというものの、まずはその下敷きとなる「ものがたり」をかくところから始めます。

「ものがたり」をまず書いて、各シーンの順番を考えたり、想定していた各役者さんに「セリフ」として振り分けたり、お互いの舞台上での位置関係、照明、音楽をト書きとして書くことで、脚本は出来上がります。

ト書きというのは「ここでこんな音楽の中、誰々に照明がこんな照明があたっていて、役はこういう位置関係からこっちに移動する」というような脚本中の説明書きと思っていただけたらと大体あってると思います。テレビドラマとかだと、ここでこっちの顔にアップとかカメラワークも入るんでしょうね。

 

では、実務開始です

んじゃ、「ものがたり」を書き始めます。が、僕はいつも「地獄の始まり」と感じていました。なにがって分かりやすいところをいうと、まず孤独です。脚本家は自分だけですから、自分が「ものがたり」を作らない限り、全てが始まりません。それをたった一人でやるのですから孤独以外の何物でもありません。

しかも、これは各劇団の作風に関わってくるので、各々違うのでしょうが、僕がかく脚本は「基本的に3つの世界がシーンごとに時間も場所も入れ替わり(だから役者さんも、最低1人3役です)、その入れ替わりがどんどん加速していって最終的には一つの世界を描く。

思いっきり簡単に言うと、3本の完成されたお芝居のいろいろなシーンが、あっちに行ったり。こっちに行ったりと、最初はゆっくり、終盤はかなり早いテンポでどんどん入り乱れていって最終的には1本の(4本目)の作品として完結する。という展開のものでした。

(ちなみに思いっきり余談します。小説などを書いたことがある人ならわかってもらえると思うのですが、作品って完結させるのがとても難しいですよね。みんな面白そうな話はいくつも考えられると思います。でも完結できるかはまた別問題。最後に『終』とかいた時の開放感は格別です。どうせ直すんですど、自分の部屋でたった一人で迎えるその瞬間だけは最高でした。あ、そういえばブログもある意味そうか。下書きたくさん持っててもだれにも公開できないもんね。余談終り)

といったスタイルだったため、もう書いている最中の頭の中は、しっちゃかめっちゃかでした。まさに起きている間は脚本のことしか考えられない。でも脚本として本当にしっちゃかめっちゃかでは役者もお客さんもしっちゃかめっちゃかになってしまいますから、各シーン、各個別の話は脚本として完成されていなければならないのです。

つまり1本の脚本は、それだけを公演しても成り立たなければいけない完成度を求められるわけです。

しかも最後は一つのものがたりとして3つの世界が無理なくまとまっていて、面白いお芝居になっていなければいけないのです。あのエピソードは別になくてもよかったよね。と言われたら脚本家としては敗北です。あの役者さんはいらなかったよねと言われるのが演出家の敗北のように(この場合、当て書きだから脚本家にも責任はあります)。この場合どっちも僕ですが。

あと、面白くなかった時一番怖いのは仲間たちです。小説なら登場人物は怒りませんが、お芝居の場合、役者さんスタッフさんみんな生きてる人間ですからつまらない脚本をあげると、普通に遠慮なく怒ります。そりゃそうです。実際の舞台を当日お客さんに観てもらって、面白くなかったら矢面にあたるのは彼らなのですから。

このとき脚本家は、質問には答えますが、どんな質問にも怒ってはいけません。いい作品を作りたいという共通の思いがあって、言ってくれる大事な意見ですし、脚本家が初めて第三者の意見を聞ける大切な時間なのですから、大切に周りの意見を持ち帰り、自分の世界観の中でより良くなるように1人で書き直し、またそれを持っていくの繰り返しです。

ね。脚本作業、地獄でしょ。しかも、脚本がようやくOKとなったとしても、実際役者にやってもらったらイメージと違ったから書き直してなんてことを演出家は平気で言ってきますからね(この場合僕自身ですが)、結局公演最終日まで脚本家の直しは続くのです。

 

なんでそんなめんどくさいことしてたのか?

んじゃ、どうして3つの世界を混ぜるようなめんどくさいことしてたのよって思うかもしれません。1本のストーリーに絞ればもっと楽なんじゃないのと。

その通り!確かに楽なんです。1本の脚本を書くだけの方が、役者さんもスタッフさんも演出家も楽です。もしかしたら観客の皆さんも楽なのかもしれません。

それではなぜ1本の芝居ではなく、複数の世界が入り交じる正直、書くのも面倒臭な脚本を書いていたのか。

もちろん。いろんな理由があります。演出家の僕は役者さんのいろいろな面を観てもらいたい。役者さんはいろんな役を演じる演技力を観せたい。照明や音響のスタッフさんも観客のみなさんに複数の舞台を観せながら、きちんと1本の芝居としても観せる効果は腕の見せ所だったでしょう。

でも、一番の理由は脚本家の僕が、リアルな人間の感情を舞台上に描きたかったからです。この場合、役者さんにはが演出家から、ナチュラルな演技ではなくて、リアルな演技が求められます。

「ナチュラルとリアルの何が違うんでい?」と聞かれると思うので、当時稽古場で演出家の僕が役者さんに説明していた方法を使います、

よくテレビの情報番組などで、ドラマや映画の紹介を褒める時に語られる、役になりきっているとか、本当にそういう人がいそうだったっていうのはナチュラル、つまり自然な演技ができてたってことです。それはそれでもちろんものすごい技術です。

でも僕がやりたかったのはリアルな舞台、演じて欲しかったのはリアルな感情、つまり現実的な舞台だったのです。わかりにくいですか?

それじゃあ今度は質問です。「みなさんはいつでも本当の感情で生きていますか?」

楽しくないのに楽しそうにしたり、すごくうれしいのになんでもないような顔をしたり、本当は泣きたくてたまらないのに、満面の笑顔で会話をしたことはありませんか?

『そんなこと今までないよ』って方はそれはそれで幸せですから、大変結構です。「本当に?」とは聞いちゃいますけどね。

 

リアルな感情とふるまい

僕は人が感情と違うふるまいをしているのを見つけると、とても感動します。

もちろん僕はその人にとって他人ですから、その人の感情なんて全部はわからないし、ましてや感情と違うふるまいをしている理由なんて、その人のこれまでの生き方も関係して決まりますから、複雑すぎてわかろうはずもありません。

でもよおく見てると、理由はわからないまでも、感情とふるまいとの相違は感じらえることがあるのです。

お芝居は結局のところフィクションです。本当の意味でリアルなものを完全に表現できたら、僕は役者さんの人生を背負わなくてはならないでしょう。それは無理。だって僕はあなたじゃないから。

でも、せめて少しだけでもリアルな感情を、場面を。僕が感動した名前も知らないリアルなあの人に少しでも近づいたものをと追い求めた結果、作品として成立させるには複数のお芝居に分解するという方法しか、当時の僕には思いつきませんでした。

1本の脚本でそれを追い求めると、役者さんがつぶれてしまいます、複数の相反する感情を、複数の世界やシーンや役に散らばせることで、役者さんをつぶさずに、全体を通して初めてひとつのリアルに近づいたものをつくる。

これが脚本家兼演出家の僕の目標でした。では、結局それは実現できたのか?

うーん・・・。

今思えば、自分がしたかったことにカスることくらいは、できたこともあったかな?ってくらいです。

でもこれからはわかりませんよ。

今は脚本家でも演出家でもありませんが、僕は生きています。

生きている限り、リアルは芝居が急に開演するかもしれませんからね。

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cotaka

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生まれてから20年は千葉、その次の20年は札幌に住んでいました。そして2年前からは埼玉に。 読書が子どもの頃からとても好きで、本を読めない時間が続くとちょっとそわそわします。 他には、星野源さんの創り出すもの、満島ひかりさんや高橋一生さんの演技、美味しいものとコーヒーが大好きです。詳しいプロフィールはこちら

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