日本の職人技

金魚

さて、またまたcotakaです。チャンスタイムなので、また更新にチャレンジします。

 

さて、ミステリーツアーの目的地が東京スカイツリーと判明しましたが、北海道に帰る家族と違って、僕はお土産を買うという目的がありません。デザインのいいもの(服以外)が好きなので、むしろ「東京スカイツリーの絵柄が入っていなければいいのに」と身も蓋もないことを思いながら、東京ソラマチのなかをぶらぶらしていました。

 

すると、外国人相手ってこともあるのでしょうが、日本人の職人さんたちの作品がけっこうお店に置いてあるんですよね。僕は「職人さん」という響きに弱いので、「へー!ほー!」と驚きながらもいろいろなお店で写真を撮ってきました。気分は東京に観光に来たアジアの人です。

 

だってすごいんですよ。例えば有名な食品サンプル。

これ全部違うトースト

パンいっぱい

 

ポテチザウルス

ポテチザウルス

 

くつろぐ人参カレー

リラックス人参カレー

 

憂う人参カレー

黄昏人参カレー

 

あとは飴細工。こっちは食べられます。

まずは飴金魚。

飴金魚

 

それとアマガエルではなくアメガエル。

アメガエル

 

ねっ!すごいでしょ。こういう技術は外国人相手でもいいから、日本の技として、ぜひこれからも残っていってほしいなぁと思いました。

 

そんな静かな感動を覚えながら歩いていると、・・・ヤツに会いました。くそ、油断してたぜ(続く)

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「知りたい」ということ

洋書の本棚

このあいだふと考えた。

 

「一番好きなもの(趣味)はなんですか?」と聞かれた時、なんと答えるだろう?

 

好きなことはいっぱいある。映画や、特定の音楽や、美味しいものや、文房具や、空想や、コーヒーや、博物館巡りや、その他もろもろ。

 

僕のことを直接知っていたり、このブログを見てくださった方なら、「『読書』でしょ?」と答えてくださるかもしれない。

 

確かに本は大好きだ。

 

2、3日本が読めないとそわそわする。もっと読めないとイライラに近くなる。吸ったことは一度もないが、タバコを吸うのと同じような感覚なのだろうか。

 

奥さんにこの話をしたら、この感覚は理解できないと言われた。うん。まあ、そういう人がいても全然構わないと思う。人にとって大切なものはそれぞれあって、それでいいと思う。

 

ただ、ここまで言っておきながら、最近ぼんやりと思うことがある。僕は「読書」が一番好きなのだろうか?

 

もっと好きなことは「知ること」なのではないか?と。

 

「知らないことを知ることが大好きだから、一番『時間と選択の自由度』が高い、読書が好きなのではないか」と。

 

その証拠に(別に読書を否定するわけではないが)、読書でなくても、好きなことについて人に教わるのも好きだし、「知らないこと」を見つけると心が踊る。

 

先日、自宅から車で少し行ったところに大きな書店があるのを見つけた。

 

入ってみて驚いた。本と文房具がとても広いフロアに山のようにあり、傍らにはコーヒーショップまで併設している。僕にとっては夢のような場所だ。こんな場所が自宅のわりと近くにあるなんて全然知らなかった。

 

でも、ここに限らず大きな本屋さんに行くと少し寂しくなることがある。僕は生きている間に、ここにあるすべての本を読み終えることはできないという事実を知っているからだ。夏の間に行きたいと思っている国会図書館では、もっと寂しくなるのだろうか?英語がスラスラ読めたら、もっともっと寂しくなるのだろうか?

 

つまり「知らないこと」を抱えたまま、「知らないこと」に気づかないまま、人生を終えるのはとても寂しいことだと僕は思うのだ。

 

それほどまでに、世の中は「知」であふれている。

 

数学者や哲学者、別に学者でなくても構わない。音楽家や作家や職人など。何かの専門家と言われる人は、僕とは違った世界が見えていると思う。そして、僕にはぞれを知る時間はもうない。それがとても悲しい。

 

でも、例え間に合わなくても「知りたい」からあがくのだ。一つでも多くの「知らないこと」に気づくため、明日からも生きるのだ。

 

それだけの価値が「知ること」にはある、と僕は思う。

 

僕は生きている間、どこまで「知らないこと」に近づけるのかな?

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ドナドナ

豚せいろ蒸し

こんばんは。cotakaです。

 

僕と奥さんはいつも仲良しシリーズ」の話をします。そんなシリーズ知らないですか?今作りました。勝手に始めます。

 

昨日の朝のこと、奥さんが僕の職場近くに用があるということで、職場まで車で送ってくれることになりました。おぅ、ラッキー!

 

車に積んである荷物の関係で、奥さんが運転手、僕は後部座席です。

 

(おっ、なんだか運転手付きの重役出勤のようだな。へへ)と車に乗る時にこっそり思っていましたが、こういうことは口には決して出しません。大人の知恵です。

 

いざ、車に乗って走り出しましたが、ものの数分で、明らかに緊張している自分がいることに気づきました。後ろに乗ると奥さんの表情が見えないので、余計に緊張します。

 

当然その頃には「重役出勤」なんて言って浮かれていた自分を心の中でひっぱたいていました。こんな緊張した重役があるか!重役、なったことないけど。

 

(なんだろうなあ、この緊張感。これじゃ、重役出勤というより護送だよ。これ護送車だ。看守と囚人だよ。)と思いましたが、口には出しません。大人の知恵です。

 

職場までは片道15分くらいなのですが、緊張感は増すばかりです。

 

(なんだかもう護送車のレベルじゃないな。これ、せっかくだからブログに書こう。なにに例えたらこの緊張感が伝わるかなー?)ここでブログに書こうと考える時点でちょっと思考がおかしいといえばおかしいのです。

 

(なんだろうなー、護送車以上の表現ってなにがあるかな?・・・・あっ!)

 

ぴったりの表現を思いついてしまいました。

 

この車は家畜運搬車です。後部座席の「豚」を市場で売るために、まさに今、車は道を走っているのです。(嫌だよー!売られるなんて。これドナドナだ!ドナドナ!売られちゃうよー!嫌だー!!)

 

なんて家畜の気持ちになりきっている僕とは関係なく、車は市場、もとい職場に到着しました。

 

「行ってきます」「・・・」

 

あれー聞こえないのかなぁー。もう一度「行ってきます。」

 

2回言うと、奥さんが、上司が部下にいう「よし」のトーンで「はい」と言ってくれました。

 

僕と奥さんはいつも仲良し。

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わからないことがあることへのワクワク

海

こんばんは。真夜中のcotakaです。

 

夜更かししないよ宣言をして2日ほどですが、「書きたいときが、書くべきとき」と思うので、書いちゃいます。

 

ここ数日「広告の貼り方がわからない」ことについて、すったもんだの四苦八苦をしていることは、今日のお昼に書きました。

 

以前、解決はしていないですし、涙目ですし、もうわけがわからないので最終的には分かる人にお世話になることは目に見えているのです。

 

でも、苦しいはずの「わからない状態」の中にいる自分が、少しワクワクしていることを今日自覚してしまいました。どうです?気持ち悪いでしょう?

 

もともと知らないことを知ることは大好きな性分です。手段は自分で調べるのも、人に教えてもらうのもどちらも同じくらい楽しいです。

 

「あーまたわからないこと見つけちゃった!」という喜び。少しは読んでいる方に伝わるでしょうか?伝わらないのは稚拙な文章のせいです。ごめんなさい。でも僕の中には確かこの喜びの感情があるのです。

 

今日気づいたら本屋さんでプログラミングの本を立ち読みしていました。仕事でほとんどは使うことはないのに。自分でも苦笑いするほどハマっていますね。

 

座右の銘は「無知の知」。我ながら自分に合ってると思います。

 

でも、今回の件で、これ以上わからないでいることは、ブログを書くという大事な時間を消費しすぎるので、もう終わりにします。

 

さて、分かる人に教えていただこう。

 

そしていつの日か、違った形や内容かもしれないけど、誰かに伝えていこう。

 

そうやって「知」は僕らの周りをぐるぐる回ってる。

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チョベリバ

緑電話

どうもこんばんは。cotakaです。

 

知ってますかチョベリバ。知らない方は、そこいらのおじさんに聞いてみましょう。おじいちゃんに戦争の話をきくようなものです。運が良ければ(悪ければ?)昔の話をいろいろ教えてくれますよ。

 

今回は「若者言葉について」です。さあ、いよいよもって加齢臭が漂ってきそうなテーマですが、まあ、聞いてくださいよ。

 

うちには小学校5年生の娘がいます。特に反抗的でもないし、父親を毛嫌いすることもない稀有な存在なのですが、彼女の言葉遣いがどうしても気になるんですよ、お父さん。

 

学校で友達と話している感じってこうなんだろうなと思うんですが。もう超、超うるさいし、なんでもヤバイとか言うし。

 

あと、うまく伝わるでしょうか?時々語尾が疑問形になるイントネーションで話をするんです。「今日ね、学校?行く途中で友達?のなになにちゃんに会って一緒に行ってたんだけど、信号の所にセブン?あるでしょ。」

 

大げさに書くとこんな感じ。基本的に細かいことが気になるタイプなので、本当は注意したいのですが、せっかく楽しそうに話をしている腰を折ったら悪いなと、黙って聞いています。でも、疑問形のところで小さくイラッとくるわけです。

 

まあ、なにもやんごとなき宮家の方々のような言葉遣いをしろとも思いませんし、友達同士で同じ言葉遣いで話すっていうのは付き合いとしてある程度必要なでしょうから、いざって時に敬語さえちゃんと使えればしょうがないかなあ、とは思うんですけどね。

 

(そういえば先日、職場で若者に、「目上の人に『大丈夫です』とか『了解しました』って言っちゃだめなんだよ」と言ったら大変驚かれて、こちらも驚きました。)

 

それに元はと言えば「超〜」とか「激〜」とか「マジ」だけでなく「ヤバイ(今のように良い意味でも使ったりはなかった)」なんてのは、僕が中高校生の頃から広まり始めた言葉で、「モボやモガ」「アベック」「ナウなヤングにバカウケ」の時代から、大人には内心しかめ面をされながら、若者言葉はどんどん広がってきたわけで、「それが時代ってものよ。」と言えばその通りなんでしょう。

 

でもね、おじさん、「イラッ」とくるのも事実としては確かにあるわけですよ。

 

昨日も職場近くを歩いていると、女子高生らしき3人が、例のごとく大声でしゃべりながら、僕とすれ違っていきました。

 

「いやもうほんとだってーっ!ガチ!。ガチ!ガチ!ガチ!ガチ!」

 

・・・寒いのか?

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